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マヤ暦を学んで訪れた変化

昨夜ふと浮かんできた

前はこんな感じではなかったなぁって

「やってもらって当たり前」

いろいろあって

そんな気持ちになってしまう人が

先日わたしのためにしてくれたこと

「ありがとう」の言葉を伝えた

それもごく自然に

わたしのなかではすごく驚くべき事件

許せないという思いに駆られる

数少ないひと

許せないというのは

自分だけが正しくて

相手は間違っている

と思うからで…

自分には自分の

相手には相手の

感じ方や考え方があって

そもそも

それを自分の物差しではかり

間違っているとか

許せないとか…

不思議なもので

家族に対してだけなのです

友達やご縁ある知人に

許せないっておもうことはなく

家族なのに

親なのに

って

家族も親も

全く違った考えを持つ

わたしではないひと

それを自分が理解することは

家族でもできない

否定せず

その人の考えを受け入れ

「この人はこう感じてこうしている」

とおもう

自分の中には全くない(もしくは全くないとおもっている)

考えや行動でも

その人にはそのひとなりの

考え 理由がある

びっくりしても

そんな見方

そんな考え方があるのね

思えると

自分のこころが広がっていくのを感じる

家族だから

わかってくれるはず

過ごす時間が長いから

たくさんのことがある

でも

その線引きを

良い意味でやめよう

いまあること

だれかがなにかをおもいしてくれること

「当たり前なんてない」

心からそう思えることが

いちばん大きな変化

ほんとうにありがとう

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